人間って本当に価値あると思うか? 今日はそんな話をしていこうと思うのよ。実際、センシティブなテーマだけど、人間に価値などないんだよ。
以前に下のような記事を書いた。
俺の主張は一貫してる。人間に生きる意味も価値もない。
人間に価値などない、だって誰にも測れないんだ
人間に価値などない。なんでかって? それは、誰も正確に価値を判断できないから。
社長もニートもOLも大統領も殺人鬼も、老若男女、誰に価値があって誰に価値がないか、その価値を測定するのは難しい。
価値は定量化できない。
みんな違う環境で育って、それぞれの細かい特技やステータスを持つ、IQが高くても低収入な人もいれば、クズだけど高収入もいる。
加えて1人1人が違う価値観を持ってる。だから、誰がどんな価値を持ってるかなんて誰にもわからないんだよ。誰かにとって価値があるものも、他人にとっては無価値だったりする。
人間の価値って何か?
成功した人が価値があるのか、それとも人に優しくできる人が価値があるのか。そもそも、価値って何を基準に決めるのか?
結局、誰も答えられないんだよ。だから、俺は思うのよ。人間に価値なんてないと。
価値はそれぞれが勝手に決めること。例えば、

ポケモンカードのナンジャモセット (定価12,800円)が高額転売されてるんだけど、俺からすればポケモンカードの価値が分からない。だから100円で売っていても買わない。
でも欲しい人は転売品でも10万円出して買うんだよな。
価値ってこういうことよ。誰かにとって価値はある。でも別の誰かにとっては無価値ってザラにあることなのよ。
でも、それが悪いことじゃない
自分に価値がないと感じても絶望するな
俺たち人間には本来価値なんてない。
勝手に価値を決めてるだけだ。他人があなたに値札をつけたり、自分で自分の価値を低く見積もる。それに絶望しているだけ。
あとは時代によっても価値が変わる。「平安時代だったら美人」今の時代だとブス扱いされる容姿ってあるけどさ。正にそれよ。昔あった士農工商も同じ。時代によって価値も変わる。
だから、今の時代で価値がないと絶望する必要はない。
そもそも、人間にたいした価値はない。
人的資源としての価値を高めろ
だけど、誰かに人的資源としての価値を感じさせることはできる。例えば、人の話を聞くだけでも有用な人的資源だ。
キャバ嬢やホストが高収入なのも、他人にとって価値があるからだよね。自分の話を聞いてくれる相手は貴重なのよ。だからキャバ嬢やホストに依存する人がいる。
自分に価値がないと絶望していても、お金を貢げばカッコよかったり綺麗な人に話を聞いてもらえる。彼らの売上に貢献できる。誰かに貢献することで自分の価値を感じてしまう客がいるわけだよね。
なかなかエグイけど。
下の記事も読んでくれ。
価値がないものに、価値らしきものをつけていくように日常で実践するだけでいいんだよ。
情報商材屋でも誰かにとって価値がある
このブログ書いてる俺の職業は、情報商材屋なんだけどさ、
世間的には「詐欺師」と石を投げられる存在だ。まぁわかるよな。世の中的には情報商材ってうさんくさいし、怪しい存在なのは事実。
そんな怪しい俺から学んでいる受講者は「底辺くんの教材、マジで他の雑魚とは違います」と評価してくれる。俺自身もネットで飯を食い続けているから、実力は自分でもあるとは思う。
俺の教材が受講者の人生に大きな衝撃を与えられているのも事実だ。
ここで考えたいのは、世間の90%にとって価値がないと思われていても残りの10%が「すっげぇ価値ある」と感じてもらえるって話。それが1%でもいい。
冒頭でも言ったよな?価値なんて曖昧。点数なんてつけられない。言ってしまえば価値はない。だからこそ、価値がないなりにも、画面の向こう側の相手には「価値」を感じさせていく。徹底する。これなんだよ。
あなたがどんな人間なのか分からない。世の中にはあなたを求めている人はいる。無職でもニートでも極悪人でも、クズでもな。
価値がないなら、お前が思う価値を与えていけ。価値を感じさせろ、そうすれば金は稼げる。
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